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2015年6月の記事

姫路城見学

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6月18日  雨
有馬温泉から三宮へ戻り姫路城へ向かいました。
霧雨にけぶる姫路城。
天気のせいか、白鷺城ではなく『真っ白すぎ城』と悪口を言われているがそのようには見えませんんでした。とても優美なお城です。

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あえて言わないという選択も

私の友人たちは皆60歳前後。
子育てが終了して、おばあちゃんになったり、親の介護や看取り、夫の定年、そんな話題が多くなっている。最近になって、子供が学校へ行っていた頃に一緒に役員をしていた方が2人も癌で亡くなった。
エンディングノート、終活という言葉も珍しくなくなった。
私も断舎利して身辺整理を心身ともに元気なうちにと、あれやこれやと気になり始めている。

先日、友人の話を聞いていてふと思った。
すい臓がんの末期と告げられて、一切の治療を拒否して自宅で家族に見守られて亡くなった女性は、自分の死後のことを事細かにノートに書き遺して逝った。
残された家族はそれからが大変だった。遺骨は自分の実家のお墓に。夫の親戚には一切連絡をしないように。仏壇はあそこへ。○○はこうして、△△はああして。わたしの××は・・・・延々と綴られたノートの言葉は最愛の妻を亡くして悲しむ夫を疲労困憊させた。息子や娘の行動も縛った。そして夫の親戚も遠ざけさせた。
私もせめて遺言の1つもと思っていたが、書き残した物が残された者を縛るのはいやだなと考えた。莫大な財産があるならともかく、私のささやかな人生で残すものなどほとんどない。物ではなく記憶が残ればそれでいい。そしてそれもいつか忘れ去られる。人の歴史はそんなものだろうと。それで良いのだと。

「楽しい人生でした。皆様お世話になりました。さようなら」
これくらいで十分な気がする。
お墓はいらない、戒名も不要。散骨か樹木葬で・・・と思っていたけど、死んだら分からないから後は皆様のよろしいようにお任せします。これではあっさりすぎるかな?

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