阪急電車

2週間に1回の割合で図書館へ通っています。今回は5冊借りてきました。東野圭吾の『流星の絆』は多分半年くらい前にリクエストしていたはず。ドラマは1回目を観てからは観ていないので、結末は知りませんが・・・<読みたい熱>はすっかり醒めています。

何気なく手にとった本が、「阪急電車」 有川 浩(ありかわ ひろ/女性)著 です。阪急電車は関西エリアの電車なので、乗った事が2回くらいあったかなぁ・・という程度です。そんな阪急電車各線の中でも知名度の低い今津線を主人公とした話でした。

宝塚駅-宝塚南口駅-逆瀬川駅-小林駅-仁川駅-甲東園駅-門戸厄神駅-西宮北口駅・・・これらの駅を往復する間のお話。片道はわずか15分。電車は、人数分の人生を乗せて、何処までもは続かない線路を走っていく----と帯にありました。内容は、読書記録のところをクリックしてください。私の拙い解説よりもわかりやすいと思います。

乗った事がある人にはもっと親近感が湧いて楽しいのかな・・・私だったら京急電車ってとこかな。梅屋敷、生麦、黄金町、立会川、能見台、屏風ヶ浦、安針塚、逸見、大森海岸、なんてね。別に、私はテツコじゃありません。念のため。

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生きなおす力

柳田邦夫 : 著 『生きなおす力』という本を読んでいる。

「授乳中にメール  これは虐待だ ! 」━只事ではない子育て状況

東京都内のある総合病院のそばにある母子サービス施設でのこと。出産後3カ月と6ヶ月などの赤ちゃんの定期検診のために病院の小児科にきた母子が、診療後に立ち寄って、赤ちゃんに授乳をしたり、必要なものを購入したりする施設だ。━━十人ほどの若い母親たちが赤ちゃんに授乳していた。ところが、どの母親も母乳を吸う赤ちゃんの顔を見ていない。それどころか、他の母親と会話もしていない。ひっそりとしている。何をしているのかと見ると、全員が黙々とケータイでメールの確認や打ち込みをしていたのだ。

ひと昔なら、母親同士が例え初対面でも、互いに相手の赤ちゃんの事を聞いたり心配事を話したり、おしゃべりの輪ができていたし、母親はたとえおしゃべり中でも自分の赤ちゃんの顔をしっかりと見ていたものだ。━━ 母親の関心の対象が赤ちゃんからもそばにいる母子たちからも離れた、どこか別のところにいる誰かのところへ飛んで行ってしまっている寒々とした情景だった。ケータイ文化も、ついにここまで来たかと、私は慄然としたのだ。進化する「壊れる日本人」と言おうか。

これを読んで、ナルホド、ここまで来たのか、という感想を持った。著者は、便利さの陰で失われていくものの重大さを訴えている。つぎも興味深かったところ。

心の「一足跳び」の成長

赤ちゃんは、この世に生まれ出ると、次々にさまざまな困難に直面する。痛い、かゆい、冷たい、暑い、おむつが汚れて気持ち悪い、空腹、のどの渇き、眠い、怖い、等々。言葉で表現できない赤ちゃんは、自分では処理できない葛藤に直面すると、温もりと安心感のある懐かしい時期に逃げこむ、いわゆる「退行」を起こす。葛藤の感情は「しがみつく(Cling)」 「泣き叫ぶ(Crying)」 「おこりっぽい(Cranky)」という形で表現する。これを赤ちゃんの葛藤の表現「三つのC」と呼ぶ。これに対し、母親(または父親)が本能的にあるいは直感的に、赤ちゃんの葛藤や求めを理解して対処をし、しっかりと目を見て温もりのある、”抱きしめ”をしてあげると、赤ちゃんの心は階段を一段ステップアップするように、ポンと一段階成長する。これを「一足跳び」の成長という。

心の成長は緩やかに連続的に上昇していくのではなく、非連続的なのだ。つまり、赤ちゃんは自分で処理できない葛藤に対して、母親が適切に対応して解決の筋道を付けてくれると、それによって混沌としたものを整える学びを得るとともに、新しい知覚能力を得る事になる。

知っていましたか? では、母親が赤ちゃんの訴えを理解できずに、叱りつけたり、叩いたり、あるいは放置したりすると、赤ちゃんにはどんな事が起きると思いますか?

興味のある方は読んでみてください。

参考までに目次を載せておきます。

授乳中にメール これは虐待だ! ・只事ではない子育て状況・母子の関係の希薄化・心の「一足跳び」の成長・虐待の連鎖を断ち切る・恐るべき虐待の蔓延・ケータイを溝に捨てよ

子どもとケータイ 規制だけで解決? ・包丁とケータイ・二兆円か子どもの未来か・求められる想像力・ネット社会の無残・ネット社会の土石流・ケータイネット依存症脱却こそ

脳を壊すケータイ 親よ学校よ気づけ ・登場した電磁波問題・ケータイは脳を壊す?・「科学的証明」の落とし穴・ケータイから脳を守る10カ条・影響の多様な側面・倫理性喪失のネット社会

子どもの心発見 ノーテレビ・デー ・首相決断の架空ドラマ・「首相謝罪の」意味・小中学生に携帯は不要・親の苦悩VS業界のラッパ・ケータイは幼いうちに?・失っていたものへの気づき

いいぞ、社長室に絵本! ・五十歳社長の開眼・企業人の”絵本教”入信者が・胎児にも届く読み聞かせ・すばらしき母親たち・驚くべきインパクト

非凡に生きぬく その力の源流は・・・ ・源の泉ははるか遠くに・黒く長い帯状の避難民の列・「私はこの子の母親になる」・魂の寄る辺・異才の源流

まだまだ続きますが、この位で。Photo

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黒ねこ亭でお茶を

【 黒ねこ亭でお茶を  】 を読みました。ブログ友のkokoroさんの童話集です。

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おばあちゃんが残したステキな庭での動物たちと孫娘マリコのお話。ターシャの庭を想像しながら読みました。少女の頃の自分に出会える物語です。

確かに、私にもそんな時間が流れていた時代がありました。

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今日の図書館

ネットで取り寄せを希望しておいた図書が届いていると、図書館からメールで知らせがあった。雨降りで寒い日曜日は読書日和かも、などと思いながら車を走らせた。駐車場がいっぱいらしく順番待ちの車が道路に列を作っていたが、15分ほどで入る事ができた。

頼んでおいた本は、この2冊。表紙のみの掲載。詳しい内容は< 読書記録 >のところに。

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2人とも作品も名前も知らない作家。テレビで紹介されていたのを偶然観て、面白そうだなと、頼んでみた。そして、ついでに借りてきたのが、「隣に居た天才 盛岡中学生 宮沢賢治」と「なんじゃもんじゃの木」の2冊。「なんじゃもんじゃの木」は思わぬ偶然。先日記事を書いたばかりで興味深く、借りる事にした。さて、夕方までの読書タイムを楽しむ事にしよう。

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うちもそう?

娘が図書館から借りてきた本を読みながら聞いた。

「お母さんが家にいて、電話が鳴ったらお父さんは側にいても出ない?」

「うん。出ない。私が揚げ物していても、泡だらけの手で食器を洗っていても、自分はテレビを見ていて電話のすぐ横にいても、電話 ! と私に言う」

「それって、電話に出るのは主婦の仕事とか思っているから?」

「さあ、それは父に聞いとくれ。とにかく出ないよ。電話の側まで行って、ナンバーディスプレイを確かめて、○○(←私の実家の事を地名で言う)から電話って呼ぶからね。私は、ディスプレイ見て 京都から電話とは言わないで、おばあちゃんとお話しするけど」

↑夫は黙って聞いていた。

「ふーん。本の旦那と一緒か・・・」

気になって、さっき娘から借りて読んだ。

「俺はお前より偉い」だって?

私は寝ていた。電話が鳴ったのはわかった。しかしわが家は三人家族。旦那は起きて活動中。娘も起きて活動中。私が電話に出なくとも、旦那か娘が出れば良い。

実際に旦那が出た。間違い電話だったのか、すぐに切れてしまったようだが・・・。

「具合悪いのかよっ」

旦那が大声で怒鳴った。

私はこの言葉を「具合が悪いわけでもないのに、寝てるんじゃねえよ」と言われていると判断した。

「寝てちゃいけないのか?」

旦那に問うた。すると旦那、不機嫌そうにこう言った。

「ダラダラすんなよ、主婦のくせに電話も取らないで」

出たね、馬鹿発言。

「電話をとるのは主婦の仕事だと言いたいのか?」

「ああ。そうだよ」

「お前、本気でそんなこと思っているのか?」

「お前呼ばわりするな」

「あんたは私を常にお前って呼ぶだろう。なのに、いざ自分がお前って呼ばれるとムッとするって・・・どういうことよ? もしかして、俺はお前よりも偉いとか言いたいんじゃなかろうね?」

「その通りだ。俺はお前より偉い!」

夫婦は平等なんだよっ。人間は平等なんだよっ。外で働いているから? 世帯主だから? 長男だから? そんな理由で偉いと思ってんのか?

電話を取るのは主婦の仕事だ? くっだらないことを言ってんじゃないよ。俺は偉いから家の中の仕事をやらないとか思っているのはね、江戸とか明治の考え方だぞ。━━略━━

そして娘に言う。

「よ~く覚えておきなさいよ、人間は平等なんだよ。それを違うって思うことが差別の始まりなんだよ。差別はいけないよ。特にね、男か女か、自分で選べないようなことで差別することはね、許されないんだよ」 [奥様は毒舌:青月ぱそる著]

娘よ、あなたの父はこの本の旦那ほど馬鹿男ではありません。それから、京都おばあちゃんもこの本の姑ほど酷い事を嫁(←母の事です)にしません。賞味期限切れのモノを送ってくることはありますが、良いところもいっぱいあります。それから、結婚する相手は慎重に見定めて下さい。こういう男は年齢に関係なくどこにでもいますから。

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ねにもつタイプ

ブログ友のビディの母さんのところで紹介されていた本を図書館へ頼んでおいた。

今日、図書の返却に行くと、届いていますよ、と言われて受けとってきたのが、この本。

「ねにもつタイプ」<岸本佐知子 著>

観察と妄想と思索が渾然一体となったセッセイ・ワールド。 と紹介がある。

さてと~ 今夜は これを読みながら、眠ることにしよう。

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仏果を得ず

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三浦しをん著「仏果を得ず」は文楽の世界を描いた作品。文楽に賭ける若手大夫の熱い青春、とある。人間国宝の銀大夫師匠をはじめ兄弟子達との人間関係も面白く描かれている。なにより、文楽の世界が楽しそうに見えてきた。

「幕開き三番叟(まくあきさんばそう)」

「女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)」

「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」

「ひらかな盛衰記(ひらかなせいすいき)」

「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」

「心中天の網島(しんじゅうてんのあみじま)」

「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」

「仮名手本忠臣蔵(かなてほんちゅうしんくら)」

タイトルを見ると、かつて受験勉強で仕方なく覚えた浄瑠璃の題名をかすかに思い出した。恥ずかしながら文楽のことはまったくと言っていいほど知らなかった。話の内容も、何となく知っているものもあるけれど、近松門左衛門って人はこんな話を書いていたんかいな~と改めて思う。登場人物の名前もいくつかは聞いたことがあるが、堅苦しくて難しい話と思っていた。(若い男が近所の親切な主婦を油でギトギトになりながら殺す話、簡単に言うとこんな具合になってしまうが、実はもっと深く、江戸時代の身分制度によりあらかじめ定めづけられた生への疑問を近松は描いているらしい。) 男と女の愛憎や、忠義と己の名誉の板挟みなどなど、人間臭い話がゴロゴロとでてくる。妻と愛人の間でフラフラする情けない男の話は、今でも巷でよく聞く話と似ている。読み終わってみると、文楽の世界はなかなか奥が深そうだ。劇場へは行けなくても、テレビで中継があったら観てみたいと思った。

仏果とは、修行によって到達される仏の位。修行を因(仏因)とするため、仏を果とし仏果と称する。

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図書館へGO

借りていた宮部みゆきの「楽園 上・下」を読み終えたので、返却に出かけました。頼んでおいた、南木圭士の新刊「トラや」が届いているとメールをもらっていたのでそれも借りるためです。

今回はその他に、浅田次郎の「月下の恋人」、ねじめ正一の「老後は夫婦の壁のぼり」、今江祥智/田島征三の「ひげがあろうがなかろうが」、青井夏海の「雲の上の青い空」、イアン・R・マクラウドの「夏の涯の島」、計6冊借りてきました。日曜日は読書デイです。

17日の木曜日から、初心者太極拳教室が始まりました。毎週木曜日に10時から11時半まで、全部で10回の講習です。男性と女性の割合は1:6位です。男性はリタイア組の方ばかりのようです。定年を迎え何か始めてみようかなと、家を出てきた感じがする人が半分、すでに定年生活が長く体力の衰えを心配して参加した人が半分と言う感じです。女性は30歳代から70歳代までと幅広い年齢層の人がいますが、一番多いのは60歳代の人たちのようです。太極拳は、とにかくゆっくりと動き、ゆっくりと呼吸をするのに慣れるまで難しそうです。鏡に映る姿は、かなりアヤシイ動きです。10回の講習が終わる頃には様になっていることを想像し、皆勤賞を目標に頑張ります。

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「林住期」読みました

7月に図書館へリクエストをしていた、五木寛之著「林住期」がやっと手元に届きました。話題の本でしたから半年近く待った訳です。本の最初には、こう書かれています。

【古代インドでは、人生を四つの時期に分けて考えたという。「学生期(がくしょうき)」、「家住期(かじゅうき)」、そして、「林住期(りんじゅうき)」と「遊行期(ゆぎょうき)」。「林住期」とは、社会人としての務めを終えたあと、すべての人が迎える、もっとも輝かしい「第三の人生」のことである。】

人生を100年として、25歳ごとの区切りをしています。今年50歳になった私は、まさに「林住期」のスタート地点に立ったと言うことになります。しかし、読み進めていくと、どうにもなぁ、と思うことが繰り返し書かれています。

【五十歳で、いったんリタイアしてはどうかと思うのだ。そのためには、二十五歳から五十歳までの「家住期」を必死で働かねばならない。女性であれば五十歳で家庭から、夫から、子どもから自立することを、早くから思い描くことが大事なのだ。】

【そんなことができる訳はないじゃないか、と苦笑されて当然だ。世の中には、自分や自分の家族達を支えるためだけでなく、両親や近親者の面倒をみなければならない立場の人もすくなくないだろう。 その全てを承知した上で、あえて私は「林住期」を人生のオマケにはしたくないと考える。】

【繰り返すが、五十歳になってからでは遅いのだ、五十歳から七十五歳までの「林住期」を、どう生きるかを「家住期」のときこそ構想する必要がある。「家住期」、すなわち社会人のあいだに、しっかりと資金をたくわえておく。子どもたちはちゃんと二十歳ぐらいで自立させたいものだ。二十歳が無理なら、「学生期」のおわる二十五歳では家を出ていくように育てる。配偶者のことも考えておこう。もし、定年後に自分が家を出て、何年も帰ってこなかったとしても、ちゃんと生活できるように手を打っておかなければならない。男性も女性も、「家住期」を過ぎて、「林住期」を迎えたならば、一度は家庭を解体してみてはどうかと考える。】

共感できる部分もありましたが、読んでいるうちに 、なんだかなぁ、という思いが胸の中に降り積もってきました。五木寛之氏には子どもがいたんだっけ?  流行作家は収入も多いだろうなぁ。五十歳では、もう遅いんですか・・・? 家のローンを抱え、子どもの学資を捻出しなければならない「家住期」は経済的には一番苦しい時期、その時期にしっかり蓄えて「林住期」に備えることができる人は、そう多くはないと思うのは、私だけでしょうか。格差社会と言われる世の中で、五十歳でリタイアして「林住期」には金を稼ぐためでなく生きるということができる人がどれだけいるのだろう、と考えてしまう。いいよね、そういう生き方ができたらさ。でも、まだ家のローンが残っているし、子どもだってまだ学生やっているし、貯金だってすぐ底つきそうだし、五十歳で会社を退職されては困るなぁ、と思いながら横目で夫を見ます。夫婦の友情を信じてそれぞれの生きたい道を選ぶには、五十歳になってからでは遅いということですかねぇ。必死で、子育てをして生きてきたら五十歳になっていました。貯金も少しはありますけど、ローンもあります。子どもに手がかからなくなったら、年老いた親の介護が待っていました。夫も私もやりたいことは胸の中にあります。それができるかできないかはその人しだい、と言われてしまうと、悲しい気持ちになります。自分の人生の果たせなかった夢を抱いて、悶々と生きている人々が大勢いるような気がします。読後は、「林住期」よりもやはり「臨終期」を連想してパタンを本を閉じました。

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出会えた言葉

  生きていれば、何事かが不可能になるのは、ありがちなことだ。人生というのは、様々な可能性がつぶされていく過程に外ならない。その当たり前のことを、どう受け止めていくかが、人としての値打ちだろう。

 ただ、それは、言葉にできても実行の難しいことどもが作る、登りにくい山の、さらに頂きにある。

 夜と昼があり、曇りと晴れがある。そうやって、一日一日を過ごしていくのだ。

 ━ しかし、何かを失えば、また何かを得ることもあるのだろう。         

                       =北村薫 著 『1950年のバックトス』=

好きな作家の一人だ。読後にいつも心が満ちていくのを感じる。生きていくことに勇気を貰える。失うことは悪いことばかりではないのだ。何かを得ることもあるはず。

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